雪がちらつく夜、石畳の路地を歩いた。 湯気があちこちから立ち上って、街全体が白くぼやけている。 山代温泉は、そういう場所だ。 派手さはない。 でも、来るたびに「また来た」。 1300年前から湯が湧き続けているというのが、歩いているとなんとなくわかる気がする。
山代温泉のおすすめスポット
古総湯|明治の湯に、ただひとりで浸かる夜
夜8時すぎに入った。
入湯料は450円。
そのくらいの時間になると、観光客がほぼ消える。
古総湯は、明治時代の共同浴場を復元したものだ。
ロッカーもシャンプーもない。
脱いで、入る。それだけ。
タイル張りの浴室に足を踏み入れた瞬間、体温が上がった気がした。
ステンドグラスの窓から外の雪明かりが差し込んでいた。
誰もいない。
お湯は無色透明で、少しぬるっとしている。
pHが高いアルカリ性泉で、肌がすべすべになると聞いていたが、本当にそうなった。
湯舟の縁に腕を乗せて、30分近く動けない。
何も考えない。
これが温泉旅の正解だ。
2階に休憩室もある。
浴衣で上がって、畳に寝転んで天井を見上げた。
あの時間は、お金に換算できない。
魯山人寓居跡 いろは草庵|天才の若い日が、ここにある
北大路魯山人が山代温泉に滞在したのは、1915年ごろのこと。
まだ無名だった30代の頃だ。
その宿を復元したのが、いろは草庵。
入館料は500円。
中に入ると、思ったより狭い。
天才の痕跡というのは、もっと大げさなものだ。
でも、この小さな部屋で彼は篆刻を磨いて、料理を考えて、器の美学を育てたらしい。
展示されている篆刻作品を間近で見た。
線が恐ろしく細かくて、息をのんだ。
当時の道具でこれを彫ったのか、と。
庭に出ると、雪が薄く積もっている。
縁側から眺める石組みの庭が、冬だと余白だらけで、かえってよかった。
「山代で才能が開いた」という説があるのも、この空気を吸えばわかる気がした。
静かすぎるくらい静かで、集中するしかない環境だ。
30分もあれば見られる。
でも、足が止まる場所がいくつかあった。
山代温泉街|夜は歩いて、湯気のにおいを吸いに行く
温泉街の中心に、総湯を囲む「湯の曲輪(ゆのがわ)」と呼ばれる広場がある。
ここを起点に、ぐるっと歩けば15分くらいの小さな街だ。
冬の夜は人が少ない。
それが逆にいい。
石畳に雪が積もって、旅館の灯りが路面に反射している。
そういう絵が、山代にはある。
昼間も歩いたが、お気に入りは夕方5時すぎ。
日が落ちかけて、各宿の玄関灯がともり始める時間帯。
観光地特有の「にぎやかさ」がなくて、生活の温度がある。
地元の人が、傘さして総湯に向かう姿を見た。
手にタオルを持って、普段着で歩いてる。
ああ、ここは本物の温泉地だ。
土産物屋やカフェも数件ある。
でも目当てはそこじゃない。
夜の山代を、ただ歩くことが目的だ。
温泉は入るだけじゃない。
街に浸かるという感覚が、ここにはある。